同時進行の道徳授業               
          TOSS岡山サークルMAK 吉田真弓

「将ちゃんのHP」 命の尊さ
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2003.2.1 第2回ヤング授業作りセミナーin香川 模擬授業資料

道徳  命の尊さ

「将ちゃんのHP」

          TOSS岡山サークルMAK 吉田真弓

          mayuyosh@aa.mbn.or.jp

             http//www.seidensha-ltd.co.jp/~mayuyosh/index.html

 阪神淡路大震災で1歳半の子どもを亡くした,母親が作ったHPを資料に「命の尊さ」について授業する。

説明1

 あるお母さんからの,子どもへの手紙です。読みます。

しょうくん,すごくあいたい・・・。いま,どうしていますか?しあわせですか?おともだちは,たくさんできましたか?ママは,いちばんしょうくんにあやまらなくてはなりません。しょうくんをおじいちゃんのおうちにつれていってしまったこと。しょうくんが,てんごくへたびだつそのときに,そばにいていながらも,だいてあげることも,てをにぎってあげることもなく,くるしいおもいをさせているのにひとりぼっちで,てんごくにいかせてしまったこと。そして,なによりも,しょうくんの,いきるはずだったじんせいをいきさせてあげられなかったこと。こんなにもうしわけなくおもっているのに,いまもこうやっていきていることを・・・。ごめんなさい・・いまでも,てんごくにいくのが,しょうくんではなくて「ママだったらよかったのに」,なんておもっています。かわれるものなら,かわってあげたい。そばにいてあげられなくてほんとうにごめんなさい。 

  (しょうくんへの手紙1 HPより)

発問1 (4人家族の写真 FLASH1)

どんな家族ですか。

 「仲の良い家族」「幸せそうな家族」(クリック)

説明2 (お母さんと双子の写真 FLASH2)

 このお母さんには,なかなか赤ちゃんができませんでした。もう,赤ちゃんはできないとあきらめていたこともありました。結婚して7年4ヶ月目にやっと,赤ちゃんが生まれました。それは,男の子と女の子の双子の赤ちゃんだったのです。

説明3 (双子の写真 FLASH3)

 男の子の名前は,「しょうくん」。大きくなったらリーダーシップのある男の子になってほしかったので,「将軍」「大将」の「将」をとりました。

 女の子の名前は,「ゆうちゃん」。優しい女の子になってほしかったので,

「優」にしました。

説明5 (将くんと優ちゃんの写真 FLASH4)

 将くんと優ちゃんは,いつもどんなときでも一緒でした。しかし,ある出来事が,2人を引き裂くことになったのです。

発問1 何があったのだと思いますか。

 「病気になった」「交通事故にあった」など(クリック)

説明6 (阪神大震災の写真 FLSH5)

 1995年1月17日 午前5時46分 阪神淡路大震災です。

 なくなった6430人の一人に将くんがいました。

説明7 その時のことをお母さんは書いています。

 「突然のおおきなゆれ,熟睡していた私は,多分ゆれてすぐには,目を覚まさなかった様な気がします。本当に大きく,床をぐるぐる回すようなゆれになって,初めて気が付いたのです。私は,「何?これ?地震?」

と大きな声で叫びました。横の方で寝ていた母が,「そうや」と叫びました。その時,将くんの「うー」という苦しそうな声を聞きました。その瞬間に,私は体を起こし,横にいるはずの将くんに手を伸ばしました。「???」横にあったのは,木の壁・・。その木の壁が,将くんの上に倒れたタンスだと言うことにすぐ気が付きました。「将くんタンスの下敷きになっている。」と叫びました。その瞬間の気持ちは,言葉で言い表すにはいい表現が見つからないほどの気持ちでした。そして,家がつぶれていることにはじめて気が付きました。」(クリック)

説明7 (崩れた家 FLASH6)

 しばらくして,お母さんやゆうちゃんは,つぶれた家の中から助け出されます。しかし,将くんはなかなか助け出すことができませんでした。

 倒れてきたタンスのたった3cmのとってがのどぼとけの上に載っていたために,将くんは窒息死してしまたのです。

 わずか,1歳半でした。(クリック)

説明8 (後悔していること FLASH7)

 将くんの死を知って,お母さんが後悔したことはたくさんあります。

 1 結婚式につれてきてしまったこと

 2 母の勧め通り1階でねなかったこと

 3 将くんをタンスの横で寝かせてしまったこと

4 夜中に目が覚めたとき,将くんの位置を変えてやらなかったこと。

5 自分がかすりきずなく元気だったこと。

6 一人だけ天国にいかせてしまったこと。

7 6年たった今でも,自分がこうやって生きていること。

発問2 こんな絶望のどん底にあったお母さんが立ち直る事ができたのは,なぜでしょうか。

 

説明9 

 将くんが亡くなった5年後,お母さんは将くんのことを多くの人に伝えたいと思って「将くんのHP」を作りました。

 その中にお母さんは将くんへの手紙を書いています。

授業のはじめに読んだのは,その手紙です。(クリック)

説明10 (将くんと優ちゃん,3人の写真 FLASH8)

震災から8年後。今年の1月17日。将くんのお母さんは今の気持ちをHPにつづっています。読みます。

震災から8年たった今,悲しみを乗り越えたとは,まだまだいえませんが,私なりにいろんな事を考え感じて頑張ってきました。

この8年,ただ泣いてくらしていた時期もありました。

息子の所へ逝くことだけを考え生きてきた時期もありました。

それができずだんだん元気になっていく自分を認められずに苦しんだ時期もありました。

 息子のために何かを残したくて必死で生きていた時期もありました。頑張りすぎてよけいにつらくなった時期もありました。

 いつも自分が生きていくための理由を考えて,探し求めながら生きてきました。(中略)

 私たちには,あの時生き残ってくれた娘がいます。

彼女も今年で10歳になり,彼女自身も私たちと同じようにこの8年間を彼女なりにたくさんの思いで,生きてきたことでしょう。

 震災から7年がたったころから,私はこれからの人生を彼女と楽しくいきていきたいと,心から思えるようになりました。

そして,娘といられることの幸せをたくさん感じながら,頑張っていきてゆこうと思っています。(中略)

 これから先の道の時間も今まで以上にいろんな事を感じて,人への思いやりを忘れず自分への強さをもって自分の足でしっかりと人生を歩いていけるように頑張ります。

 何年かたったときに,その何年かを振り返る時がきたときに,頑張って生きてきたんだって胸をはっていえるように・・・。

(後略)

指示1 授業の感想を書きましょう。

参考文献

 「将ちゃんのHP」

  http://www.ne.jp/asahi/sho/yu/

 「親子の愛 無償の愛の授業」高橋恒久氏HP 

TOSSランドa@2210182

 「同時進行の道徳授業」小林正樹氏HP

       TOSSランドa@2210132




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